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野火止用水終点から始点へ のんびり水源目指したサイクリング

こんにちは、あらポタです。

 

いつもは、荒川を行ったり来たりしていますが、ちょっと出張してみましょう!

 

なんで?と思われると思いますが、

先日、志木方面に出かけたときに、野火止用水なるものに興味を抱いてしまいました。

先日のテレビ東京アド町でも周辺の東久留米が紹介されていましたね

www.tv-tokyo.co.jp

 

 

川って水が流れているところですよね。(そんなのあたりまえ!)

水は低いところに集まり、沢が小川になり、それが川になり荒川?に流れ込んでいます。それは最初は小さな水の流れですが、水が集まり次第に大きな流れになっていく。。それが川。

ということは、水は高いところから低いところに流れていきます。

河川系のサイクリングロードは、川沿いの土手を利用しているので、周りと比べて低いところを縫うように走っています。

 

でも!ちょっと不思議な川があるんです。

 

それが、野火止用水(用水路)

 

野火止用水は、川沿いよりも一段高い黒目川と柳瀬川に挟まれた台地をほぼ一直線に流れています。そして遡っていくとだんだん川の水量が増えていくのです!

そんな常識外れの川を遡る旅にいってみましょう!

玉川上水駅から平林寺(新座市)まで、およそ20キロの軽めのサイクリングです。

 

 調べてみると武蔵野線新座駅あたりまで水の流れがありそうな感じです。

早速、行ってみましょう!

 

 こちらの記事に詳細がありますので覗いてみてください!

yoyochichi.sakura.ne.jp

 

新座駅までは、輪行でいけます!

武蔵野線を新座駅で降りると、大きな水車が出迎えてくれます。

そこから、国道254沿いのヤマダ電機近くのふるさと新座館を目指します。

 

 ふるさと新座館向かいに野火止用水公園があります。

この公園は、こんな感じで水と触れ合える明るい公園となっており、

子供たちも水遊びができる夏にピッタリの公園です。

この夏は猛暑ですので、ここで手のひらを冷やしてから走り始めましょう!

なんで?と思った方は ↓ の記事をご覧ください!

www.arapota.net

 

さあ、ここから野火止用水の水源を目指したサイクリング出発です。

国道254号線を越える自転車用の歩道橋を渡って、まずは平林寺をめざしましょう!

 スタートしてすぐは、木陰をのんびり走っていきます。

林側からは、ひんやりした冷気が流れてきて、夏なのにここちよいサイクリングを楽しめます。

そんな心地よい道路ですが、舗装されていないのでロードバイクでのスピードは15キロ程度で、周辺の景色を楽しみながらゆっくり進んでいきましょう

ホタルも周辺で飼育されているようですね。

野火止用水の流れが清らかなことの証明ということでしょうか?

こんな道がずっとつづけばなあ。。。

平林寺を過ぎると様相は一変。

野火止用水の横は、アスファルトの車道路となっていきます。

少し進むと、野火止史跡公園を発見。

野火止用水の分岐点となる公園です。

野火止史跡公園からは、幹線道路沿いに流れがあり、その道路の名前が水道道路という名称。まさに水道の歴史をたどれる道の様相!

水道道路沿いには、野火止用水の説明看板をいろいろな箇所でみることができます。

武蔵野のうちでも野火止台地は高燥な土地で水利には恵まれていなかった。川越藩主・老中松平伊豆守信綱は川越に入府以来、領内の水田を灌漑する一方、原野のままであった台地開発に着手。承応2年(1653年)、野火止台地に農家55戸を入植させて開拓にあたらせた。しかし、関東ローム層の乾燥した台地は飲料水さえ得られなく開拓農民は困窮の極みとなっていた。
承応3年(1654年)、松平伊豆守信綱は玉川上水の完成に尽力。その功労としての加禄行賞を辞退し、かわりに、玉川上水の水を一升桝口の水量で、つまりは、玉川上水の3割の分水許可を得ることにした。これが野火止用水となる。
松平信綱は家臣・安松金右衛門に命じ、金3000両を与え、承応4年・明暦元年(1655年)2月10日に開削を開始。約40日後の3月20日頃には完成したと、いう。とはいうものの、野火止用水は玉川上水のように西から東に勾配を取って一直線に切り落としたものではなく、武蔵野を斜めに走ることになる。ために起伏が多く、深度も一定せず、浅いところは「水喰土」の名に残るように、流水が皆吸い取られ、野火止に水が達するまで3年間も要した、とも言われている。

新座市内は、自然の流れを生かした形で水道道路沿いを流れています。

新座市の地名の由来は歴史的名称から。758年、新羅からの渡来人がこのあたりに住み新羅郡が置かれる。その後、新倉郡、新座(にいくら)郡となった、その名称から。

 

水源方面にさかのぼっていくと、埼玉県から東京方面に入っていきます。

よっと驚きなのが、東京(清瀬市付近)に入ると一気に道路の整備が進むんです!

清瀬市の地名の由来は、清戸村+柳「瀬」川=清瀬、と。

やはり埼玉と東京では違うのですね。

歩道がきちんと整備されております。

でもさすがに東京関所はありませんでした!(翔んで埼玉の見過ぎでしょうか?)

 

この周辺で、小金井街道・新小金井街道と交わり、そして野火止通りに分かれていきます。

道の上には、野火止用水の写真の看板まで設置

この分岐点あたりから野火止街道と名称が変わってきます。

進んでいくと木の下を野火止用水が流れている個所もあります。

この木は万年橋のケヤキと呼ばれているそうです。

万年橋のケヤキ。ケヤキが用水を橋のように跨いでいる。用水を開削するとき、元からあったケヤキの大木の根元を掘り進んだからから、とか、用水ができたときに植えたケヤキが、橋づたいに根を延ばしたとか、説はいろいろ。

少し行くと大きな水車が目印の公園が見えてきます。

恩田野火止水車苑という公園です。

恩田の「野火止の水車苑」。天保2年(1782年)から昭和26年まで、小麦等の穀物を製粉し、商品価値を高め江戸・東京に送られていた、と。

ここは木陰に東屋がありますので、補給休憩をしましょう!

木陰の涼しい風がサイクリングの疲れを癒してくれます。

この先で、新青梅街道と交差する付近から久米川駅を過ぎるあたりまで、水が見えなくなります。暗渠と呼ばれる区間。

でも安心してください。自転車歩行者専用の道筋となっており、明らかに野火止用水の上に道を作ったような雰囲気なので、道沿いを走っていくことができます。

そして再び川筋がみえてきますので、一安心!

進んでいくと、多摩湖線の高架が見えてきます。その向こうが、八坂駅。

その手前に、多摩湖自転車道が交差します。

この自転車道の地下には多摩湖~東村山浄水場~境浄水場~和田給水所を結ぶ水道管が通っているそうです。

ここを通過すると九道の辻公園があります。

あまり公園の雰囲気はないのですが、こんな由来があるそうです。

確かに多くの道が交差している交差点です。

 

この交差点にイオン発見、ちょっと熱中症になりそうだったのでクーラーの効いた飲食スペースで一休みしてしまいました。。。。

九道の辻公園(小平市小川東町2-3-4)。往古、このあたりには鎌倉街道(上道)、江戸街道、大山街道、奥州街道、引股道、 宮寺道、秩父道、清戸道、御窪道の九本の道が交差しており、九道の辻と呼ばれていた。
元弘3年(1333年)、後醍醐天皇の倒幕の命に呼応し、上州・新田庄で挙兵。武蔵野の原野を下ってきた新田義貞は、この辻にさしかかったとき、さて鎌倉に進むには、どちらに進めばいいものやら、と大いに戸惑った、とか。で、今後道に迷うことのないように、鎌倉街道沿いに桜を植えた。その名を「迷いの桜」と呼ばれたが、今はない。

 

少し進むと。。。

おおっ!これは! というお店を発見!

草門去来荘 東村山店さん

ウナギでは有名なお店です。

そろそろお昼なので、お食事にウナギもいいねと思いメニューを確認。

あれ?うな重 一番安くて4,800円??

あっという間にお腹がいっぱいになりましたので、庶民はもう少し先に進みます。

道も次第に細くなってきました。

 

懐かしい庶民の看板が見えてきたので一安心。

おにぎりでも食べましょう。

さらに進むと道すらなくなってしまい、公園の中をすすみます。

進んでいくと、東大和駅に出ます。

この駅は昔「青梅橋駅」と呼ばれていたそうです。

青梅橋の案内によれば、「300年の歴史を持つ青梅橋も、昭和35年村山浄水場の開設にともない、玉川上水からの水の取り入れが、この橋のすぐ下流まで野火止用水跡を利用した暗渠となったため取り壊された。この橋から丸山台(というから南街3丁目)あたりまで、4キロにわたって道の中央に一列に植えられた千本桜があったが、今はない」と。

さあ終着点水道局・小平監視所に到着です。

ここは、玉川上水から野火止用水が分岐する地点となります。

小平の地名の由来は、昔のこのあたりの地名であった「小川村」の「小」と、平な地形の「平」を合わせて「小平」と。

 この野火止用水ですが、じつは人為的な流れということです。

現在は、ここが玉川上水の終端施設、といってよい。ここで塵芥を取り除き、沈殿槽を通った水はここから東村山浄水場に送られる。つまりは、ここから下流には多摩川からの水は流れていない。玉川上水、また野火止用水は昭島の水再生センターからパイプで送られてきた高度処理下水が流れている。「清流復活事業」といった環境整備のために作られた流れとなるわけだ。
事情はこういうこと;昭和48年、玉川上水とつながっていた新宿・淀橋上水場の閉鎖にともない、玉川上水の水を下流に流す必要がなくなった。が、後に上水跡・用水跡の清流復活運動がおこったため、その水源を求めることになる。玉川上水の水を流せばいいではないか、とはいうものの、その水は村山浄水場に送られ都民の上水となっているわけで、それを使うことは既にできない。で、代わりに昭島の水再生センターからの水を使うことになった、ということ。

そうなーんだ。

道すがら歴史を感じていたのに。。。

でもこの道は、木陰がおおく、走っていてもとても安らかな気持ちになりました。

夏の暑さでサイクリングに嫌気がさした時

または、心が疲れた時など、ぜひ走ってみてください。

 

帰りは、玉川上水駅から輪行で帰りましょう!お疲れ様でした。

時間がある方は、足湯で癒されましょう!

 

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近くには、オリジナルアイスが食べられるちょっとした立ち寄りスポットがありますよ! ブラックサンダーを知っています?

 

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 では!